2013年6月12日水曜日

その2 「失われた銀貨」 ルカ15章8-10節

前回は「失われた羊を捜して」と題し、こう学びました。「あなたはこの話しを聞いて、自分をどこに当てはめましたか?野原に残された九十九匹に自分を当てはめ、さびしく思ったでしょうか?もしそうなら、あなたはまだこのたとえ話を理解していません。…実は、彼らも、私たちも、神様から見れば『失われた一匹』なのです。イエス様は、すべての人々を『たった一匹』であるかのように、愛してくださるお方なのです。そして、その一匹を捜して救うために、イエス様はこの世に生まれ、十字架かかってくださいました。その一方的な恵みを体験した者は、失われた人々の救いを心から願い、その救いを心から喜ぶことができるのです。」今日はその続きです。

今日は、「なくした銀貨」のたとえ話です。10枚の銀貨を持っていた女の人が、1枚なくしてしまった。そこで、明かりをつけて、家じゅう大掃除をして、見つけるまで念入りに捜した。その甲斐あって見つかり、喜んだ持ち主は、友人知人の女性たちを集めて「一緒に喜んでください」と言った。とても単純なたとえ話です。でも、単純なのだけれど、どこか違和感があります。ここで登場している銀貨とは、当時一般に流通していたギリシャ銀貨「ドラクマ」のことで、その価値は一枚で当時の平均日当、つまり大ざっぱにいえば一万円くらいでした。とすると、彼女は10万円持っていて、その内の1万円をなくしたということになります。もちろん必死で探すでしょう。私でも、畳はめくりませんが、夜なら部屋を明るくし、棚の下までしっかり調べるでしょう。決して「まだ9万円ある」とは言いませんし、少し捜して「まぁいいや」と諦めることもしません。それくらい大切なものだからです。でもだからと言って、見つけたら、友人知人を呼び集めて「いっしょに喜んでください!」と言うでしょうか?もしそれが真夜中だったとしたら、友人たちはどう思うでしょうか?気が狂ったと思わないでしょうか?少し大げさな感じがします。

でも、その大げささが、このたとえ話の言わんとしていることなのです。似顔絵を描く時、人はわざとその特徴をとらえ、その部分を大げさに描くものです。それによって、誰でもすぐに「あの人だ」と分かるためです。このたとえ話は「神様の似顔絵」です。神様の特徴を分かりやすく、大げさに描いているのです。ドラクマ銀貨は、当時の羊一匹の値段でもありました。つまり前回話した、失われた1匹の羊とも、繋がっているのです。私たちは時に、自分自身でも、それほど価値がないと感じてしまうことがあります。「自分には愛される価値なんてない」「神様に捜される価値なんかない」と。でも、私たちがどう思おうと、神様は「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している(イザヤ43:4)」と仰ってくださるのです。もし、そんな私たちが、たとえ1人でも失われ、暗闇の中でもがき苦しむことがあるなら、神様は、明かりをつけて、見つけるまで、念入りに捜して下さるのです。その究極の姿が、イエス様の十字架です。イエス様は「失われた人を、捜して救うために来られました(ルカ19:10)」。そして、失われた人が、見つかり、イエス様のもとに帰ってくるなら、たとえ真夜中であっても、友人知人をたたき起したいくらい、喜んでくださるのです。あなたは、それほどに愛されているのです!聖書にはこうあります。「ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。(10)」

その愛は、まさに、気が狂わんばかりの愛です。パリサイ人や律法学者たちは「どうしてこの人は、罪人たちを受け入れて、食事まで一緒にするのか」とつぶやきました(2)。なぜでしょうか?彼らには、失われた人の価値が分からなかったからです。彼らが愛していたのは「正しい自分」だけでした。「自分は罪人のようではない」ことだけで満足していたのです。イエス様はどれほど願われたことでしょう?同じ神様を知る者として、パリサイ人も立ち上がって、一緒に失われた1匹を、失われた1枚の銀貨を、捜してくれることを!でも彼らは立ち上がってくれませんでした。そればかりか、必死に探すイエス様を、心の中でバカにして、批評して、文句を言っていたのです。イエス様は、そんな彼らに、たとえ話の中で、何度も「いっしょに喜んでください(9)」とお願いしています。でも、その叫びも、彼らには届きませんでした。あなたはどうですか?あなたの仕事は、他人の奉仕を批評することではありません。自分もイエス様と一緒に立ちあがり、一緒に捜すことではありませんか。それができなくても、一緒に喜ぶことはできるのです。

失われた人に対する、イエス様の狂わんばかりの愛を理解して、一緒に立ちあがるのは誰ですか?



また、女の人が銀貨 を十枚持っていて、
もしその一枚をなくしたら、
あかりをつけ、家を掃いて、
見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。
見つけたら、

友だちや近所の女たちを呼び集めて、
『なくした銀貨を見つけましたから、
 いっしょに喜んでください』と言うでしょう。



ルカ15章8-9節