2014年1月15日水曜日

その19 「七度を七十倍するまで」 マタイ18章21-35節

2014年初めての聖書研究会です。いきなり昨年のテレビの話で恐縮ですが、昨年はやったドラマに「半沢直樹」があります。私自身は見ていませんが、たいそう話題になり、決め台詞の「倍返しだ!」は流行語にもなりました。しかし、今日学ぶイエス様のたとえ話の中の決め台詞は「七度を七十倍するまで赦しなさい」です。いったいその背後には、どんな意味があるのでしょうか?

このたとえ話も「対話」から生まれています。相手はペテロです。彼は言いました。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」なぜ彼がこんな質問をしたのか具体的なことは分かりません。ただ「兄弟が私に対して罪を犯した場合」とあることから、原因は相手にあり、問題は「私とあなたの間の事柄」であることが分かります。これは大切なことです。直前の15節においては「もしあなたの兄弟が罪を犯した場合」とあります。こちらは一般的な罪、つまり、放っておくと、本人だけでなく、周りの人にも害やつまずきを与え、教会に悪影響を与え、主の栄光のためにならない場合のことを言っています。その場合は、赦すか赦さないかだけではなく、これ以上、害を拡大させないための対策が必要となります。

ペテロは、相手が自分に対して罪を犯した場合「何度まで赦すべきでしょうか?」と聞いているのです。その直後に、彼は「七度まででしょうか?」と言っていますが、当時のラビ(律法の教師)の一般的な教えは「三度までは赦しなさい。それ以上は赦さなくても良い」というものでした。その時代にあって、ペテロは聖書の完全数である「7」を、自分なりの基準として問いかけているのです。きっと、こう聞きながら、自分の基準の高さを、イエス様や周りの弟子たちに誇る思いもあったでしょう。しかしイエス様の答えは更に上をいっていました。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」つまり、何度までという条件を設けないで、「無限大に」「そもそも数えること自体やめて」「とことん赦しなさい」と言われたのです。

その直後にイエス様は、二人の借金を抱えている人の、たとえ話をされました。一人は王様のしもべです。彼は王様に1万タラントの借金をしていました。タラントの話しは以前もしましたが、1デナリが当時の日当で約1万円。1タラントは6千デナリ。つまり単純計算で1万タラントは6千億円です。彼はそんな途方もない借金(負いめ)を王に対して負っていたのです。当然返せるはずもなく、彼は「どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします」と泣きつきました。すると王様は、かわいそうに思い、彼を赦して、借金を免除してあげたのです。その帰り道、彼は同じしもべで、彼に百デナリ(百万円)の借金がある仲間に出会いました。すると彼は「首を絞めて『借金を返せ』と言い、相手がひれ伏して『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから』と言って頼んでも、聞く耳を持たず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた」のです。

もう一度言いますが、彼らは同じ「しもべ仲間」であり、彼は赦された直後でした。その非情な振る舞いに、心を痛めた別の仲間が王様に一部市場を報告しました。すると王様は、激しく怒り、こう言いました。「悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。」この王様は天の父なる神様、そしてしもべは私たち人間を表しています。また、このたとえ話には登場はしていませんが「もう一人しもべ」がいることも忘れはいけません。それは、語り手であるイエス様本人です。王様は1万タラントの借金をチャラにされたのではなく、王のひとり子が、自分の身分を捨て、しもべの仲間(友)となり、すべての借金をその身に負ってくださったのです。

私たちは赦された者として、赦す者となっているでしょうか?イエス様は、私たちの罪という負債をその身に負い、十字架にかかり、死と滅びの淵から、私たちを贖(あがな)ってくださいました。それなのに私たちは、自分が赦された事を棚に上げて、他人を責める者、赦さない者、訴える者となっていないでしょうか?しかも本来、愛し合うべき仲間を憎み続けていることはないでしょうか?自分の力で「赦そう」と思うのではなく、まず神様が自分を赦して下さったことと、その背後には、イエス様の十字架の犠牲があることを忘れないことが大切なのです。

相手が謝って来たからではない、赦された者として、自ら進んで赦すことが大切なのです。



「七度まで、などとはわたしは言いません。
七度を七十倍するまでと言います。」
マタイ18章22節



「私たちの負いめをお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」
マタイ6章12節 

「父よ。彼らをお赦しください。
彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
ルカ23章34節