2014年1月23日木曜日

その20 「役に立たないしもべ」 ルカ17章1-10節

前回は「7度を70倍するまで赦しなさい」というイエス様の言葉から教えられました。その根拠として、イエス様は「多くの負債を免除されたしもべ」のたとえ話を通し「私たち自身が、多くを赦された者だから」と教えて下さいました。そして最後に、このようにまとめました。「相手が謝って来たからではない。赦された者として、自ら進んで赦すことが大切なのです。」ある方は、この結論を聞き、何か、ふに落ちないものを感じたかもしれません。悔い改めない人を赦すなんて、相手の思うつぼではないか?私たちの救いにだって「悔い改めが必要なのに…」と。

今日の箇所では、より明確に、赦しの条件として「悔い改め」があげられています。まずイエス様は「つまずきを起こさせる者はわざわいだ」と仰せられます。その表現は非常に強く「そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです」とまで言っています。そうして「気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい」と仰せられたのです。つまりイエス様の言われる「つまずきを起こさせる者」とは、兄弟姉妹が罪を犯す場合、それを決して赦そうとせず、罰を与え、徹底的に排除し、回復の機会を与えない人々のことを言うのです。パリサイ的な信仰が幅を利かせ、あわれみのない時代にあって、イエス様はむしろ赦しを大切にして言われました。「かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」

それを聞いて、使徒たちは「私たちに信仰を増して下さい」と言いました。「使徒」と呼ばれていることに、まず注目したいと思います。通常、福音書において彼らは「弟子」と呼ばれています。しかし、イエス様の十字架の死と復活、そして昇天後、彼らが初代教会のリーダーとなっていく時、初めて「使徒」と呼ばれるようになります。でもここで、先取りして「使徒」と呼ばれているのは、「これからあなた方が派遣される教会においては、そういうことがたくさん起こりますよ」という暗示だとも考えられます。つまり、何度赦しても、同じ間違いを犯す、そういう弱い人々を、あなた方はこれから、柔和な心で導かなければなりませんと言われているのです。でも、それはとても骨の折れることです。ですから弟子たちは「私たちに信仰を増して下さい」と言ったのです。しかしイエス様は、大切なのは、信仰の「多少」ではなく、信仰の「質」だと言われました。もし本物の信仰が「からし種」ほどあれば十分だ、と。では、本物の信仰とは何でしょう?

そこで登場するのが「役に立たないしもべ」のたとえ話です。彼は文字通り「役に立たないしもべ」ではありませんでした。おそらく非常に有能で、多くを任され、頼られる存在だったのでしょう。普通、そのような有能なしもべは、だんだんと自尊心が肥え太ってきて、「こんなにもやっているのだから、もっとねぎらって欲しい」「もっと報酬をはずんでも良いのではないか」と思うものです。しかし、このたとえ話のしもべは、多くの仕事をこなしながらも「私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです」と言える、謙遜さをもっていました。そしてこの謙遜さこそが「赦しの秘訣」だと、イエス様は、弟子たちと、私たちに、教えておられるのです。

正しすぎると人を赦せなくなります。パリサイ人たちは旧約聖書の「律法」という物差しで見れば正しい人たちでした。でも彼らの行いは、神様への純粋な愛から生まれたものではありませんでした。もしそうであれば「主のしもべとして当然のことです」と言えたでしょう。しかし彼らは「私たちだってこんなに頑張っているんだから」と、自分の正義を主張し、相手の「悔い改め」に対するハードルをどんどん上げ、その基準に満たない人をなかなか赦そうとしなかったのです。

確かに「悔い改め」は大切です。でもそれは相手が這い上がってくるまで、ふんぞり返って待っていれば良いというものではありません。放蕩息子のお父さんはどうでしたか?放蕩薄子に自ら駆け寄ったではありませんか。イエス様はどうでしたか?私たちの「悔い改め」を待ちつつ、私たちが悔い改める前に、十字架にかかってくださったではありませんか。イエス様こそが、もっとも謙遜なしもべになり、私たちに仕えて下さったのです。もし罪を犯す人があれば、私たちも同じように、相手が悔い改めることができるように、私たちの側から働きかけることはできないでしょうか?あなたの正しさが、あなたを傲慢にしてしまうことのありませんように。もし人を赦すなら、それは十字架の恵みによって赦された者として「なすべきことをしただけ」なのです。

間違った信仰は、多ければ多いほど人を傲慢にします。でも本当の信仰は、わずかでも人を謙遜にします。



かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、
『悔い改めます』と言って七度あなたのところに来るなら、
赦してやりなさい。ルカ17章4節

あなたがたもそのとおりです。
自分に言いつけられたことをみなしてしまったら、
『私たちは役に立たないしもべです。
なすべきことをしただけです』と言いなさい。」ルカ17章10節




食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。
むろん、食卓に着く人でしょう。
しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。
ルカ22章27節