2014年2月20日木曜日

その23「不正な管理人」 ルカ16章1-13節

私たちは、自分を罵知る人の言葉からも、学ぶことは出来ますし、そうできる人は成長します。イエス様のたとえ話も同じです。悪いたとえから、良いこと(霊的な教訓)を学ぶこともできるのです。今日の箇所は、そういう逆説的な表現をよく理解しながら、読まなければいけません。

今日のたとえ話は「不正な管理人」と呼ばれます。ある金持ちがいました。彼はしもべに、自分の財産を管理させていました。しかし彼は、主人の信頼を裏切り、それを乱費してしまったのです。怒った主人はこう言いました。「何ということをしてくれたのだ。会計報告を出しなさい!」絶体絶命のピンチに、管理人は考えます。「さてどうしよう。土を掘るには力がないし、物ごいをするのは恥ずかしいし。ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。」そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、『油百バテ(1000デナリ相当)』の借りがある者には『さあ、あなたの証文だ。すぐに座って五十と書きなさい』と言い、『小麦百コル(2500デナリ相当)』の借りがある者には『八十と書きなさい』と言い、それぞれ500デナリ(500万円)相当を割り引いてやったのです。その後、彼がどうなったのかは分かりませんが、意外なのは主人の反応です。「主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた」敵ながらアッパレといったところでしょうか。

イエス様の言葉(解説)にも、驚きます。「わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。」イエス様が不正を奨励しておられるのでしょうか?そんなことはありません!ただイエス様は、最初にも言ったように、この不正な管理人からも、学ぶべきところがあると言っておられるのです。この「不正な富」とは、文字通りの不正な富ではなく、「この世の富」、更に言えば「この世の仕組みそのもの」とも言えるでしょう。イエス様は、私たちクリスチャンが、この世の経済や、法律、そして社会の仕組みそのものを十分に熟知して、時にはそういった仕組みも利用しながら、小さなことにも忠実に、福音を述べ伝えなさいと、言われているのではないでしょうか?土壇場に追い込まれた管理人の熱心さも、見習うべきものがあります。

その際、優先順位には気をつけなければいけません。私たちは福音宣教のために、お金をはじめ、この世の仕組みを用いることはできますが、その逆は許されないのです。多くの人がその間違いを犯します。すなわち、お金もうけのために神様を利用しようとしたり、地位や名声のために主の御名を持ちだしたりするのです。違いは紙一重ですが、神様以外のものを第一とする時、それが私たちの「偶像」なのです。イエス様は、最後にこう仰せられました。「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」

しかし、このたとえ話で一番に気付かなければいけないのは、その背後にある「霊的な意味」です。不正な管理人が、主人のお金をみんなにばらまいた時、なぜか主人は管理人を褒めておられます。主人が怒ったのは、むしろ管理人が、主人のお金を、自分のためだけに用い、乱費していた時でした。でも、そのお金を気前よく、分け与えるぶんには、むしろ喜んでおられるのです。不思議ですが、これこそが「神様の恵み」なのです。神様には、ご自分の恵みを、内に留めておくという発想自体がありませんでした。私たちは、その神様から、溢れんばかりの恵みを、一方的にいただいているのです。そして神様は、私たちに、こう仰っておられます。「遠慮しなくても良いから、私の恵みを、なるべく多くの人々にも分け与えなさい。そうすることが私の喜びなのだよ!」

この恵みは一人占めできません。神様の目的は、この恵みをいただいた者たちが、主にある兄弟姉妹、友となり、新しい共同体を築き、ともに助け合い、天の御国に招き入れられることです。イエス様のことばは、こうとも言いかえることが出来るでしょう。「労せずにいただいた恵みで、自分のために友をつくりなさい。そうすれば、あなたが躓く時にも、彼らがあなたがたを助けてくれるでしょう。そうして、あなたがたは、ともに永遠の住まいに入れられるのです。」これはイスラエルと異邦人の関係にもいえます。まず福音の管理を任されたイスラエルに、神様が一番望まれたことは、その福音を全世界の民と分かち合うことでした。そうしたら、福音によって救われた異邦人が、後の日にあなたがたに手を差し伸べてくれるだろう。そうして、あなた方は一つの家族となって天の御国に入るのです(エペソ3:6-7)。大切なのは、分かち合う姿勢なのです。

与えることに、躊躇してはいけない。神様は、分け与える者を、喜んでくださいます。



そこで、わたしはあなたがたに言いますが、
不正の富で、自分のために友をつくりなさい。
そうしておけば、富がなくなったとき、
彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。
ルカ16章9節


与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。
ルカ6章38節

その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、
異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、
ともに約束にあずかる者となるということです。
私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、
この福音に仕える者とされました。
エペソ3章6-7節