2014年3月13日木曜日

その26「砂の上の家」 マタイ7章21-29節

前回は「ぶどう園と農夫」のたとえ話から学びました。「本来なら、私たちこそ、ぶどう園から追放されてもおかしくない存在です。しかし主人(神様)は私たちを捨てませんでした。それは、ひとり子であるイエス様が、私たちの代わりに捨てられてくださったからです。聖書にはこうあります。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』」今日は「砂と岩の上に建てられた家」のたとえ話です。

まるで絵本にでも出てきそうな話です。あるふたりの人が、家を建てました。一人は賢い人で、もう一人は愚かな人でした。賢い人は、岩の上に建てたので、雨が降って、洪水が押し寄せ、風が吹いても、その家は倒れませんでした。しかし、愚かな人は、砂の上に建てたので、雨が降って、洪水が押し寄せ、風が吹いた時、その家は倒れてしまいました。イエス様の言われる賢い人とは「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者」で、愚かな者とは「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者」でした。このたとえを聞いていた群衆は、イエス様が律法学者のようにではなく、権威ある者のように教えられたので驚きました。とても分かりやすい話しです。

奇しくも昨日は「3.11」、あの東日本大震災から3年目の日でした。いま日本全体は、東北のみならず、国を挙げて災害に強い町づくりに取り組んでいます。家を建てるのは、普通の人にとって、人生の大仕事です。その家が、災害にあった時に、一瞬で傾いてしまったり、壊れてしまったりしたら、とても残念なことです。もし周りの家は大丈夫なのに、自分の家だけ傾いているなら、それこそ建て方自体に問題があったのでしょう。同じことが、私たちの人生についても言えます。私たちの人生にも、試練は突然やって来ます。病気や、仕事上の挫折、人間関係のトラブルや、愛する人の死など、そういった試練は、ある日突然やって来ます。そうして、時には、私たちの人生や私たちの心をめちゃくちゃに破壊してしまいます。あなたは大丈夫ですか?その時になってからバタバタするのではなくて、普段から、そういう事態に備えて、自分の人生に、確かな土台を築いておくことが大切なのです。そうしてイエス様によれば、「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う」事こそが、自分の人生に、ゆるがない土台を築き上げることなのです。

こう聞くと、私たちはみことばを「実行すること」が大切だと思うかもしれません。それも大切ですが、それだけでは真理の半分です。その直前には「主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか」という者が登場します。彼らは、自分たちの行いが、主のみこころにかなっていて、天の御国に入る時には、褒めていただけると信じて疑いませんでした。しかしイエス様は、彼らにこう宣告されます。「わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。」何と厳しい宣告でしょう。私たちも気をつけなければいけません。自分では神様のためにやっていると思っていても、いつの間にか神様の御心そっちのけになってしまっていることはないでしょうか?自分の生きがいのためだったり、居場所や立場を守るためだったり、人から認められるためにやっていることはないでしょうか?人の目には見分けがつきませんが、その日、イエス様の前に立つ時、その人の働きの真価がすべて明らかにされるのです(Ⅰコリント3:13)。

より大切なことは、まず「御言葉にしっかり聞くこと」なのです。イエス様はこう言われました。「(天の御国は)わたしの父のみこころを行う者が入るのです。」「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。」賢い者とは、まずじっくり神様のことば(みことば)に聞いて、神様の御心は何なのかを悟り、一歩一歩、主とともに歩む者なのです。そういう人は、いざ人生の嵐にあっても、慌てることがありません。そういう「聞く作業」をおろそかにし、自分の熱意や正義感で突っ走り、最後に神様の方を振り返って「神様、これらは全部、あなたのためにやったんですよ」なんて言われても、神様は「わたしはあなたのことを知らない」と言われるのです。大切なのは、まず「わたしのこれらのことばを聞く」ことなのです。「これらのことば」とは、直接的には「山上の説教全体(5-7章)」のことです。その中には「神の国とその義とをまず第一に求めなさい(6:33)」とあります。神様は、その人の熱心さとか実績ではなく、その人がどれだけ主の御心を慕い求めたかを見られます。

大切なのは、どれだけ大きな家を建てたかではない、どんな土台の上に建てたかなのです。



だから、わたしのこれらのことばを聞いて
それを行う者はみな、
岩の上に自分の家を建てた
賢い人に比べることができます。 

雨が降って洪水が押し寄せ、
風が吹いてその家に打ちつけたが、
それでも倒れませんでした。
岩の上に建てられていたからです。
マタイ7章24-25節


与えられた神の恵みによって、
私は賢い建築家のように、土台を据えました。
そして、ほかの人がその上に家を建てています。
しかし、どのように建てるかについては
それぞれが注意しなければなりません。
<中略>その土台とはイエス・キリストです。
Ⅰコリント3章10-11節